第13章 帝国主義とアジアの民族運動

石油・電力を新動力源に使い、重化学工業を発展させた技術革新
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社会主義者鎮圧法の廃止後、やがて議会の第一党となったドイツの社会主義政党ドイツ社会民主党ロシア社会民主労働党は1903年の党大会で2つに分裂するが、「多数派」の意味を持つ党派で、レーニンが指導したものボリシェヴィキロシア社会民主労働党は1903年の党大会で2つに分裂するが、「少数派」の意味を持つ党派メンシェヴィキ第一次ロシア革命の発端となった、ペテルブルク冬宮前の流血事件(1905年)血の日曜日事件反動政治を強行する一方、ミール解体などの土地改革を進めたロシアの首相ストルイピンアメリカ合衆国第25代大統領(共和党)で、帝国主義政策を積極的に進めたマッキンリーキューバの独立運動を機におこったこの戦争(1898年)以後、アメリカは海外進出を積極化アメリカ=スペイン(米西)戦争革新主義(進歩主義)の立場をとり、反トラスト法を発動して社会改革につとめる一方、「棍棒外交」と呼ばれる積極的なカリブ海政策を展開した、共和党の大統領セオドア=ローズヴェルトアメリカが1904年に着工し14年に完成させ、大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河1889年にパリで結成された、社会主義運動の国際的連帯組織第2インターナショナル1867年にイギリス初の自治領となったカナダ1911年にイギリスで制定された法律で、上院に対する下院の優越を規定したもの議会法アイルランドの独立運動の高まりに対して、イギリスの自由党政府が1914年に成立させた法律アイルランド自治法アイルランドの独立を主張して急進的な反英路線をとり、1916年にイースター蜂起をおこした政党シン=フェイン党「私は弾劾する」の論陣をはり、ドレフュスの無罪を主張したフランスの自然主義作家ゾラ1905年にジョレスらが社会主義諸派を集めて組織した、フランスの政党フランス社会党ドイツのバルカン進出のスローガンで、パン=スラブ主義と対立した考え方パン=ゲルマン主義革命ではなく議会闘争に重点をおいて社会主義実現をめざす、ドイツ社会民主党のベルンシュタインの考え方修正主義ロシアが東アジア進出のため、フランスの財政援助で1891年に着工した、世界最長の鉄道シベリア鉄道ナロードニキの流れをくむ、ロシアの社会主義政党社会革命党第一次ロシア革命のとき、ペテルブルクやモスクワで結成された労働者の自治組織ソヴィエト第一次ロシア革命後、皇帝ニコライ2世は十月宣言を発布してこれを開設することを認めた国会(ドゥーマ)アメリカ=スペイン(米西)戦争の結果、アメリカはプラット条項によりこの国を保護国したキューバアメリカ=スペイン(米西)戦争の結果、アメリカ合衆国はカリブ海のこの島を獲得したプエルトリコ「新しい自由を」を掲げて、反トラスト法の強化や関税引き下げなどを実施し、対外的には「宣教師外交」を推進したアメリカの大統領ウィルソン第2インターナショナルの中心を指導した社会主義政党ドイツ社会民主党ビスマルクが1884年に開いた国際会議で、実効支配というアフリカ分割の原則を定めたものベルリン会議(ベルリン=コンゴ会議)イギリスが1882年にエジプトを事実上の保護下におく契機となった、エジプトの民族主義者の運動(1881~82年)ウラービー(オラービー)運動1881年にスーダンでおこった、ムハンマド=アフマドを指導者とするイスラーム教徒の反英運動マフディー運動1890年にケープ植民地首相となり、イギリスの帝国主義政策を進めた人物(セシル=)ローズケープ植民地に居住した、オランダ系住民の子孫のことブール人ブール人がケープ植民地の北方に建設した国はオレンジ自由国とこの国トランスヴァール共和国ブール人がケープ植民地の北方に建設した国はトランスヴァール共和国とこの国オレンジ自由国イギリスが、ブール人の両国を滅ぼした戦争(1899~1902年)南アフリカ戦争(南ア戦争・ブール戦争)ケープ植民地にトランスヴァール共和国とオレンジ自由国などを加えて、1910年に成立したイギリスの自治領南アフリカ連邦南アフリカ連邦では、白人優位の人種隔離政策が導入されたアパルトヘイトイギリスはアフリカ大陸縦断政策を発展させて、インド洋を内海とする植民地政策を展開した3C政策1830年にフランス王シャルル10世が占領した、北アフリカの地域アルジェリアフランスが領有した、アフリカ大陸南東の島マダガスカルイギリスの縦断政策とフランスの横断政策が、スーダンで衝突した事件ファショダ事件ファショダ事件を契機に、英仏両国はドイツの脅威に対抗するため、1904年に成立させた英仏協商モロッコをめぐるドイツ・フランスの対立事件(1905・1911年)モロッコ事件モロッコ事件のうち、1905年の事件がおこったモロッコの港市タンジール1896年にアドワの戦いでイタリアの侵入を撃退した、アフリカの独立国エチオピア帝国イタリアはイタリア=トルコ(伊土)戦争(1911~12年)の結果、オスマン帝国からアフリカのこの地域を奪ったリビア(トリポリ・キレナイカ)エチオピア帝国とならんで、20世紀初頭のアフリカで独立を維持した国リベリア共和国19世紀の後半、アフリカ奥地を探検したイギリスの宣教師リヴィングストン消息を絶ったリヴィングストンを捜索するためアフリカ奥地に入ったアメリカの探検家スタンリーベルリン会議(1884~85年)において、ベルギー国王の所有地として設立を認められた植民地はコンゴ自由国ドイツがアフリカで獲得した植民地は、トーゴ・カメルーン・南西アフリカともう一つこの地域東アフリカイタリアがアフリカで獲得した植民地を、エリトリア・リビアとこの国ソマリランド当初イギリスの流刑植民地であったが、牧羊業の発展やゴールドラッシュにより移民が激増し、1901年に自治領として認められたオーストラリアイギリスによって奥地に追われたオーストラリアの先住民アボリジニイギリスによって武力で抑圧された、ニュージーランドの先住民マオリ族アメリカ=スペイン戦争のときのアメリカ合衆国の大統領マッキンリーアメリカ=スペイン戦争でアメリカがスペインから得た、太平洋上の領土はフィリピンともう一つグアムアメリカ=スペイン戦争でアメリカがスペインから得た、太平洋上の領土はグアムともう一つフィリピン太平洋上の独立国であったが、1898年にアメリカが併合した諸島ハワイアメリカ合衆国の指導のもと1889年にワシントンで第1回会議が開かれ、合衆国がラテンアメリカへの影響力の拡大をはかったパン=アメリカ会議1910年におこった、ラテンアメリカ初の本格的な民主革命を何というか。1917年には民主的憲法が制定されたメキシコ革命メキシコ革命を指導し、革命後は大統領に就任した自由主義者マデロメキシコ革命でマデロによって追放された独裁者ディアス1882年、ドイツ・オーストリア・イタリアの間で結ばれた三国同盟1887年にドイツとロシアの間で結ばれた秘密条約再保障条約再保障条約をドイツが破棄した後、1891~94年にロシアがある国と結んだ露仏同盟英・露と鋭く対立することとなった、近東方面へのドイツの帝国主義政策3B政策ドイツが1899年に敷設権を獲得した、オスマン帝国からペルシア湾に至る鉄道バグダード鉄道イギリスはロシアの東アジア進出に対抗して、1902年に同盟を結んだ日英同盟日英同盟により、イギリスは伝統的な外交方針を放棄した「光栄ある孤立」イギリスはドイツの挑戦に対抗して、1904年にこの協約を結んだ英仏協商イラン・アフガニスタン・チベットにおけるイギリス・ロシアの勢力範囲を定めた(1907年)英露協商ドイツはメラネシアやミクロネシアで多くの諸島を獲得カロリン・マリアナ・マーシャル・パラオ・ビスマルクメキシコ革命の農民指導者で、徹底した土地改革を主張したサパタイタリアは三国同盟の一員であったが、オーストリアと領土問題で対立していた「未回収のイタリア」日本が日清戦争で遼東半島を領有したことに対し、ロシアは1895年にドイツ・フランスと結んでおこした行動三国干渉三国干渉の代償として、ロシアは中国から何という鉄道の敷設権を獲得東清鉄道ドイツは宣教師殺害事件を理由にして、1898年に中国のここを租借膠州湾1898年にロシアが中国のここを租借した遼東半島南部1898年イギリスは中国の九竜半島北部とここを租借した威海衛1898年イギリスは中国の威海衛とここを租借した九竜半島北部1899年にフランスは中国のここを租借広州湾中国進出に後れをとったアメリカ合衆国は、中国市場への参入をはかるため、1899~1900年に3原則を提唱した門戸開放 機会均等 領土保全門戸開放・機会均等・領土保全を提唱したアメリカの国務長官ジョン=ヘイ中国では洋務運動の失敗の反省から、日本の明治維新を範とした運動が1898年におこされる変法運動梁啓超とともに、変法運動の運動の中心となった公羊学者康有為康有為を登用して、改革を断行した皇帝光緒帝変法運動は宮廷守旧派によって弾圧され、挫折した戊戌の政変戊戌の政変を主導した宮廷守旧派の中心人物西太后1899年に山東省で義和団の排外運動がおこるが、そのスローガン扶清滅洋義和団事件後、1901年に清朝が列強と結んだ講和条約北京議定書日露戦争の講和条約ポーツマス条約朝鮮において1905年以降に激化した、民衆の抗日武装闘争義兵闘争韓国併合後、日本がソウル(京城)においた統治機関朝鮮総督府日清戦争における清の敗北を契機に列強が中国で獲得した利権のうち、鉱山採掘権とならんで重要なもの鉄道敷設権1860年の北京条約におけるキリスト教布教公認以来、中国各地でおこったキリスト教排斥運動仇教運動義和団事件後の条約で、中国の独立国としての威信は失墜した。このことを、最もよく示す条約内容外国軍隊の北京駐屯朝鮮進出をもくろむロシアに対抗して、日本は1902年に同盟を結んだ日英同盟ロシアが日露戦争続行困難となった事件第一次ロシア革命日露戦争を仲裁したアメリカの大統領セオドア=ローズヴェルト日本の韓国支配をすすめた初代統監の伊藤博文は、韓国の独立運動家に暗殺された安重根統監府の設置や韓国の保護国化など、日本の韓国支配を推し進めた1905年の協約第2次日韓協約光緒新政の一環として、清朝が1905年に廃止した伝統的な官吏採用制度科挙孫文が革命諸団体を大同団結して、1905年に東京で結成した結社中国同盟会孫文が中国革命の基本理念とした思想三民主義湖北新軍がこの都市で挙兵したことをもって、辛亥革命の始まりとする武昌辛亥革命勃発の翌年に、孫文を臨時大総統として発足した共和国中華民国清朝の皇帝退位を条件に、臨時大総統就任を革命軍に承諾させた清朝の実力者袁世凱1912年に滅亡した清朝の、最後の皇帝宣統帝(溥儀)辛亥革命を機に、中国周辺部のこの地域が1911年に独立を宣言した外モンゴルインド人エリートを植民地支配の協力者として利用するため、1885年にイギリスが創設した組織インド国民会議インドの民族運動分断のために、イギリスが1905年に発布したベンガル分割令1906年に開かれ、4綱領を決議して反英的性格を明確にしたインド国民会議の大会は、この都市で開かれたカルカッタインド国民会議のカルカッタ大会の4綱領のうち、「国産品愛用」の意味を持つ綱領スワデーシインド国民会議のカルカッタ大会の4綱領のうち、「自治獲得」の意味を持つ綱領スワラージインド国民会議に対して、イギリスがイスラーム教徒に結成させた親英的な団体全インド=ムスリム連盟1911年に設立されたインドネシアの民族運動団体で、第一次世界大戦後の民族運動高揚期に中心的役割を果たしたイスラーム同盟(サレカット=イスラーム)フィリピン革命の結果、フィリピン共和国の独立を宣言して大統領となったが、アメリカが認めなかったため、フィリピン=アメリカ戦争を戦ったアギナルド日本への留学生派遣により近代化をめざす、維新会によるベトナムの近代化運動ドンズー(東遊)運動オスマン帝国では、ミドハト憲法の復活を求めて「統一と進歩団」による革命が1908年におこった。青年トルコ革命イランでは、専制政治の改革を求める革命が成功した(1906年)(イラン)立憲革命清朝が自らの延命のために1908年に宣告した、日本の明治憲法を模範とした憲法の草案憲法大綱孫文が1894年にハワイで結成した、華僑を中心とする革命結社興中会清朝は幹線鉄道国有化と外国借款の方針を打ち出したが、これに反対する暴動がおこった四川省袁世凱の死後、列強の支援を得て各地に分立割拠した軍事政権軍閥外モンゴルは1924年、モンゴル人民革命党のこの人物の指導のもと、モンゴル人民共和国として社会主義国となったチョイバルサンベンガル分割令に対する反対運動を展開した、インド国民会議派の急進派の指導者ティラクフランス支配からの解放を求めて、維新会を結成してドンズー運動をすすめたベトナムの学者・革命家ファン=ボイ=チャウ小説でスペインの暴政をあばき、フィリピン同盟を結成したが、銃殺された民族運動家ホセ=リサールイスラーム諸国の立憲的改革やパン=イスラーム主義を主張した、イラン生まれの改革者アフガーニーアフガーニーの呼びかけにこたえ、イギリスがもつタバコ利権に抵抗する運動がイランでおこったタバコ=ボイコット運動イギリス・ロシアなどの外国の圧力に苦しんだ、当時のイランの王朝カージャール朝